君に届け 第3話 「放課後」 - 「文字を書く行為」のエロス、「主観表現」から「客観表現」へ


みなさん既にお気づきかもれませんが、「君に届け」の第3話の主題は「文字を書くこと」であります。1話、2話においても「文字」が占める役割とは決して小さくはなかったのですが、3話においては文字によるコミュニケーション、あるいは文字を通じたコミュニケーションというのがクローズアップされ、さらには「文字を書くこと」という繊細な行為に付随するエロスが、表現として取り入れられています。第2話において確立された色彩表現は、第3話においては「主観」を表現するというよりも「存在」を表現するにとどまり、第2話に比べてずいぶんと抽象化・あるいは記号化されてしまっているようです。「主観」のみで構成されていた1話、2話に比べて、第3話では「客観」の立場からの表現がある程度取り入れられているのです。


「主観表現」から「客観表現」への変容は、Aパートの冒頭において顕著です。前回の「席替え」で爽子が獲得した「世界」の中で、爽子が「世界」の中の4人と言葉を交わす。その中に副担任のピンが闖入してきて、風早くんの犬に「ペドロ・マルチネス」と大リーガーの名前をつけて、爽子を10秒間見つめて(爽子と3秒以上眼が合うと不幸が訪れる、見たいな噂がある)、ガッハッハと笑いながら教卓に向かう。それで風早くんが爽子を見つめて、3秒たたないうちに顔を真っ赤にして机の上に顔を伏せる。そんな様子を千鶴が「なんなのあれ?」って言って、あやねが「コントじゃねえの?」と答えていますが、この会話は本質的です。つまり、一連の「コント」において、我々は爽子の獲得した「小劇場」を箱の外から見ているという位置づけで、それを(「世界」の住人ではありますが、風早と爽子の「コント」においては)傍観者である2人にそれを言わせることで、客観の立場であることを明確に伝えている。このシーンは千鶴とあやねの主観であると見れなくもないのですが、逆説的に2人の主観から「客観表現」というのが生じてきているのです。
まとめておくと、いままでの「君に届け」では爽子に友達が居なかったことによって、「主観」による表現しか持ち合わせていなかったのですが、前回の「席替え」において爽子は「世界」を獲得して、それにより多人数のキャラクター同士の「関係」を扱うことが可能になった、すなわち「客観」による表現を獲得し得た、ということです。爽子の変化・あるいは成長に合わせて「君に届け」の演出も変化・あるいは成長をしていることをリマークしておく必要があります。


今回の一番の見どころは、放課後の名簿作りのシーンだと思います。ピンが出席簿を作れと命じてきて、爽子が自分がやりますと名乗り出て、風早くんが「なら俺もやる」と名乗り出ます。それでいちゃつく2人の様子がムカついたピンが、風早くんを職員室に呼びつけて、結局爽子は一人で出席簿作りをすることになります。夕暮れの誰もいない教室で、爽子は一人出席簿を作る様子をロングから捉えたカットがあります。このカットをご覧になればわかるとおり、夕暮れには「孤立のイメージ」が付随しているわけですが、同時に赤系統の色は「爽子のカラー」でもあったわけですね。そのようにしてここのシーンでは久々に「爽子の主観」以外の要素が存在しないわけですが、その中で爽子は出席簿に風早くんの名前を書き込みます。そのあとピンにつかまっていた風早くんが抜け出して教室にやってきますが、そこのシーンの手前で青空に茜色の雲が浮かんでいるカットが入ります。2話の時点ではこの種のカットは「風早くんと爽子の主観の融合」というより本質的な意味合いがあったわけですけれども、冒頭で述べたとおり、どうやら第3話では「存在を明示する」に留まっているようです。現時点で「世界=教室」に存在しているキャラクターが、爽子と風早くんの二人であることを示している、それ以上の「主観」に関する意味合いは持ち合わせていないように思えます。風早くんは、爽子の名前だけを出席簿に書き込むと、すぐにまたピンに呼び出されて職員室に戻っていきます。


さて、「お互いの名前を書きあう」という儀式がどのような意味を持っているのかを考える前に、もう一か所の「文字を通じたコミュニケーション」が本質的に表れているシーン、つまり「授業中の手紙の交換」のシーンを見てみます。風早くんが授業中に投げてきた手紙を爽子は後ろの龍くんに回してしまって、風早くんが驚いてその手紙を回収して、さらに「黒沼へだってば」と書き足されて、改めて手紙が渡ってきます。こういうときって、手紙を開くと筆者の声が再生されるのが常だと思うのですが、「君に届け」ではそうはせずに、手紙を開いたときに水玉がパッと散る演出まであって、相当に「文字」自体が強調されています。手紙の内容は、放課後にマルちゃん(=Aパートでペドロ・マルチネス命名された風早くんの犬)に会いに来ないか、というもので、爽子は「行く。」と短く書いた手紙を風早くんに渡します。
最初に述べましたが、文字を書くという行為は、それ自体が大変なエロスを内包していると思うのです。繊細な手の動き、今回の場合は手紙を渡すときの動きも含めて、細かい手や指の動きがフェティシズムと結びついている。
このシーンにおいては「文字の内容」がコミュニケーションの核であるといえます。風早くんが赤面しているのも、嬉し恥ずかしで爽子をデートに誘ったからで、爽子の指の動きのフェティッシュも、やはりそのデートへの照れなどが作用していると考えることもできます。しかし先ほどの名簿作りのシーンでは、表面上の「内容」だけを見るならば、自分の名前を書かれたことで赤面する理由はないようにも思えるのです。にもかかわらず、ここの爽子が赤面するシーンはとても自然に思えて、とても可愛らしい。それは、文字を書く描写を丁寧にトレースしているからというのもあるのですが、「相手が自分の名前を書く」という状況の特殊性が作り出していると思われます。自分の名前を呼ばれるのに比べて、自分の名前を書かれるという状況はそうそうない。相手の名前を書く、というのは相手の名前を呼ぶ以上にディープなコミュニケーションであり、そういう強烈なメッセージを受け取った爽子は赤面してしまうのです。
この儀式において、爽子と風早くんが非対称であることが重要です。つまり、爽子は風早くんがいない状態で風早くんの名前を書く、風早くんは爽子が見ている目の前で爽子の名前を書く、という非対称性です。爽子はおそらく、風早くんの前では字が震えてしまって彼の名前を書けないでしょうね。「君に届け」というタイトルから考えると、まだ爽子は「君に届」かせようという状態に至っていなくて、風早くんは積極的にメッセージを発信してきていることになるのでしょう。さらには、エロティシズムという観点から考えれば、爽子のシーンは自慰行為に相当するものであるとも言えると思います。(すごく誤解を招きそうな言い方ですが。)


さらには、この後の「爽子が勉強を教えるシーン」も、やはり「文字によるコミュニケーション」という主題に沿ったものであるのでしょう。直接文字を書く描写がされない分、エロスの表現までも内包しているわけではありませんが。
原作を全部読んだんですが、まさかこのシーンがこんなにエロく昇華されるとは思ってもみなかったですね。展開は少女漫画的かもしれないけれど、演出は相当男性的であると思います。今週もとても面白かった。