『あのはな』と『シムーン』と『放浪息子』の話 ― 岡田麿里さんの性描写について


新年入ってから立てこんでて久々の更新となりました。

ダ・ヴィンチ 2011年 03月号 [雑誌]

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あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』のノベライズが掲載されている、今日発売の『ダ・ヴィンチ 3月号』。もう読まれましたでしょうか。冒頭からくぱぁくぱぁと連呼し(この部分は公式サイトで無料公開されていますが)、「あなるちゃん」登場の場面に戦慄します。ヒロイン登場の場面で、まさかこう、こんな文を書いてしまうのか!と。こりゃ話題沸騰だな……と思いきや某スレを見るとドン引きされててちょっと残念。気になる方はぜひ買って読んで。
最近は一段と吹っ切れた方向に舵を切っている感のある岡田麿里さんの性表現ですが、その性表現もやはり『シムーン』に見出すことができまして。岡田さん初登板の第12話「姉と妹」は、『シムーン』の中でも特に性的な題材を扱った話数でした。
EMOTION the Best Simoun(シムーン) DVD-BOX

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アルティとカイム、過去に性的な関係を持ったことのある姉妹は、そのことが原因で仲違いをしている。アルティが一方的にカイムに迫った……とカイムは言うが、当時二人の気持ちがどのように在ったかは知る由もない。そのことに気付いたカイムはアルティと仲直りをする……わけにもいかず、アルティが肝心な箇所を履き違えたまま事に及んだという事実はあるわけで。だからアルティは梯子から足を滑らせて落下するカイムを受け止められなかった。
シムーンに乗る際のキスで、カイムはアルティの唇をかんで傷を与えている。カイムは偵察任務から帰ってきた後、腕の傷を舐めて、その時の血の味を思い起こし、「同じ味だ」と呟く。アルティと同じ血が流れていることをどこまでも呪う痛烈な一言。
私はこの「同じ味だ」の一言に岡田麿里イズムを感じてしまうのです。傷の痛みを胸の痛みになぞらえるでもなく、「味」と表現してしまう。このときに私は、血の味が口の中に湧き上がるかのような感覚をもってカイムの感情を追体験するのです。精神的な言葉ではなく生理的な言葉を以て語る。岡田さんは性にまつわる題材にあたって、こういった「生々しい」描写が非常に上手い。
さて、私が今期一番ハマっているアニメは『放浪息子』です。この前原作をイッキ読みしました。岡田麿里さんのファンとして岡田イズムを感じたのは次の一言。

「女の子みたい。ボクは女の子みたい。だから臭くないし、だから…」

今度は匂いです。『true tears』第1話の初稿に真一郎が自慰をする場面があった、という有名な逸話がありますが、『放浪息子』では二鳥修一くんが夢精をしてしまった…というのがまず第1話の衝撃でした。(修一くんが夢精をする場面は、シチュエーションは違いますが原作にもあります。)それを受けて第2話で、この一言ですよ。
自分は女の子の服を着たいのか、女の子になりたいのか、「男の子として女の子の高槻さんが好きなのか、それとも女の子になって、女の子として高槻さんに愛されたいのか」(第4話・千葉さんの台詞)、それはまだ修一くんには難しい問いです。分かるのは、自分の感情の在り処ではなく、生理的な感覚だけ。それを「男の匂い」―精液の匂いであったり、汗の匂いであったり―に仮託して我々の生理感覚へと訴えてくる、この一言がほんとうに素晴らしい。
水彩画風の画面であったり、切り返しを巧みに使った演出であったり、音響の設計であったり、そして修一くんの声であったり……と素晴らしい箇所は無限にあります。女の子になりたい男の子、男の子になりたい女の子……ってこれ『シムーン』じゃねぇのというのが最初に思ったことでしたが、第3話の声変わりとブラ線の話を見るに、気持ちに決着を着けられないまま訪れる性的な変化、という点はやはり共通している、と思いました。もちろん他は何から何まで違うけども、まさにドンピシャの岡田麿里起用だなぁというのは第4話まで見た今でこそ実感しているところです。