ソ・ラ・ノ・ヲ・ト 第1話 「響ク音・払暁ノ街」


ソ・ラ・ノ・ヲ・ト=「空の音」という主題


ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」とわざわざカタカナで、しかも中点を打ってあることにはおそらくそれなりの意味があるはずだが、まあ第1話であるから、素直に画面に提示されている「空の音」という主題を見てみることにしよう。この「空の音」という単語は「ラッパの音」や「鈴の音」だけでなく、雨の音や水の音など、登場するすべての「音」を包括している、と見るべきのようだ。


「雨の音・水の音」が際立って登場するのは、カナタの回想、染料を掛け合うお祭り、リオが柄杓で水をかけるシーン、カナタが池の底へと落下するシーン、などなどで、これらはすべて「過去」へと遡行するときに伴う「音」である。セイズの街で行われている「祝祭」は過去へと遡行する行為で、それとパラレルに「鈴の音」を起点としてカナタの過去への遡行が行われる。このときに、オレンジ色の染料を掛け合うという「祝祭」から、オレンジ色の夕日へと、火が落ちた後も炎のオレンジ色へと、オレンジ色を基に画面の連鎖が行われる。オレンジ色は過去の戦禍を象徴する色であり、過去への遡行と夕日が落ちて行くのが重ね合わされ、さらにカナタの過去の中の雨とも統合される。逆に「ラッパの音」は、カナタの回想の中で、「雨」に対するアンチテーゼとして現れる。続けて、夜が開けた後では、昇っていく朝日に合わせてリオとカナタがラッパを吹く。


まとめると、「雨の音・水の音」は視覚的には「下降」のイメージを伴ない、街の底に眠る「過去」へと遡行する要素であるのに対して、「ラッパの音」は「上昇」のイメージ、未来への展望を予感させる要素である、という対立構造が中心にあるということである。アニメではつい視覚的な要素に目が行きがちだが、聴覚に結びつくタイトルを置き、視覚・聴覚・そして物語構造を連動させた対比があるのが素晴らしい。



多国籍性


この作品は、過去の世界大戦で破壊された後の世界、が舞台になっており、現在(=日常)と過去(=非日常)との断絶が強調されている。つまり、世界大戦という「過去」が「現在」に確実に影響を与えてはいるものの、どういう形で影響を受けているのか、曖昧にされている(伝承の上でしか分からない)ということである。しかしながら、我々視聴者にとっては、その「影響」というのがはっきりと目に見える形で認識できる。それが「多国籍性」である。
第1話の放送直後から「ソラヲト」のフリーダムな文化様式を多くの人が指摘していた。「ソラヲト」の街並みはスペインの街をモデルにしているが、使われている通貨は円だったり、軍服はドイツだったりと、様々な文化を混ぜあわせたような文化様式が意図的に作られている。第1話の段階なので推測にしかならないのだが(しかしほとんど確信しているのだが)、この「多国籍性」が示しているのは、戦争によって文化様式というのが一度破壊され、継ぎ接ぎされながら自然再生されていった文化、という図式ではないだろうか。
そしてもちろん、「多国籍性」はその内に潜む普遍性、断絶された過去と現在の接点を抽出するためのギミックであり、その「普遍性」というのは「音楽」である。第1話の場合は、カナタが地の底の湖で吹いたラッパの音に、リオがラッパの音で応える、という構図が象徴的だ。




「空の音」という主題と関連付けて語られるべき物語が示され、導入的としてはよく出来ているんですが、これが「日常系」になる様はなかなか想像出来ない…ですが、第1話は相当面白かったので、非常に期待しております。