君に届け 第7話 「土曜の夜」


部屋の色彩


今回はいわば真田くんの家での「密室劇」で、まずここに前回のトイレのシークエンスとの対比があります。真田くんの部屋は床も青色、ベッドも青色、ついでに携帯電話も青色で、前回のトイレと同様に青系の彩色がされていますが、前回のトイレは「ネガティヴさ」に通じる青色だったのに対して、今回は「男性」一般を表す記号としての青色になっています。部屋の印象を決定づけるのはおそらく壁紙の色だと思いますが、壁には明るいベージュの彩色がされているところは前回のトイレと決定的に異なります。今回はいわゆる「台風一過」的な、大きな事件が過ぎ去ったあとの日常を描いた回だけに、(部屋の大きさは違うものの)同系統の彩色で再び「密室劇」を行ったことが痛快でした。
4人が集まって談笑しているところでは、ポテチが花びらのように空を舞っているのカットが面白かった。


真田君の部屋が青系の色だったのに対し、風早くんのいる部屋は、ソファーも赤色、ランプの柱も赤色、そして携帯電話も赤色と、綺麗に赤系に統一されていて、ここに「第2話」「第3話」「第5話」で使われてきた赤と青の対比があります。この色彩の対比の様子は、特に携帯電話に着目してい見ると、「話す相手の色彩」が反映されているのかもしれないと思いました。話す相手は離れた場所にいるけれど、携帯電話がまるで話している相手そのものであるかのような表現がされているのではと。


星空と天の川


今回は「星空」「天の川」のカットが頻繁に映されますが、これらがなにを意味しているのかを考えてみようと思います。
星空の様子はAパートの終わりとBパートの終わりで綺麗な対比があります。Aパート終り、風早くんが(一人で)自転車で真田家へと向かう道程、風早くんの自転車を背中から見る視点からパンアップして、満天の星空のなか「天の川」が画面中央に映されます。Bパートの終わりでは、爽子と風早くんの「二人」が、真田君の家から帰る道すがら、「風早くん、コンビニで何買うの?」「んー、何買おうかなあ」っていう会話のところで、パンアップして星空になり、今度は流れ星が天の川を挟んで片側からもう片側へと流れます。


まず一つの見方として、「天の川」は風早くんや爽子の歩いている「道」のメタファーになっていると考えられます。「君に届け」において、「歩く」という積極的な前進運動が「相手に気持ちを伝える」という行為に通じているという話を、以前OPのときにしましたが、今回2人が進んでいく「道路」と「天の川」が平行に扱われていて、さながら二人が進んでいくべき道を示しているようであります。さらにもう一つの見方として、この「道=天の川」は、壁・あるいは境界に相当するものではないかということ。天の川を挟んで織姫と彦星がいるのは誰でも知っていることですが、今回は「右から左へと」、流れ星が越境する。おそらく、「地上には」右手に風早くん、左手に爽子がいることから、風早くんから爽子へと「届かせる思い」の表れなのでしょう。
また、解散になった後、風早くんと爽子が二人で帰るときには、星空の「光」に加えて、河の水面に反射する光、民家の光なども加わって、無数の「光」が爽子と風早くんの周りにあふれています。流れ星が一つの「届いた思い」であるならば、これら無数の光・「流れていない光」というのは、二人がまだ相手に伝えきれていない気持ちというのを表現していると考えられます。
Bパート終盤のシークエンスは非常にロマンチックに仕上がっていて気に入っています。


三人の恋愛像


最後に、爽子の「友情」に関する主題を一通り完結させて、「恋愛」へと主題がシフトしてきた様子が今回の話の中に織り交ぜられています。Aパートの前半、爽子たちが真田君の家に歩いていく道程で、街燈が3つ灯る描写がありましたが、これがどうも、「三人に同様に光を当てる」という意思表示のように思えます。
男女の関係というのは爽子と風早くんに限定されず、「あやねとあやねの彼氏」、「千鶴と真田くん」というペアリングがされています。爽子はまだ「風早くんへの恋愛」とかそういうものの前段階だと思うのですが、あやねは爽子よりはるかに先を歩いていて、既に彼氏を持っている。ところが、今回あやねはいかにもうざったそうに彼氏からの電話に対応していて、(さらには電話中の眼を意図的に隠す描写もあり)、あまり彼氏と上手くいっていない描写がされています。さらに千鶴と真田くんというのも、彼氏・彼女とは少し違う関係を構築している。千鶴とあやねはすでに、ある種の男女の関係を持っていて、爽子はそれがどういう関係なのかということに非常に興味を示しています。
ところで、携帯電話は色彩を帯びていて、直接の会話をする分、第3話の「手紙まわし」の上位互換に相当する伝達媒体なのかなと思いました。爽子のコミュニケーション能力の進展に伴って、付随する「伝達媒体」もより高次のものへと変化している。「コミュニケ―ション」という点において、あやねと千鶴が爽子より先を歩いています。