生徒会の一存 第7話 「踏み出す生徒会」


最近はほとんど「君に届け」の話しかしていなかったのに、突然「生徒会の一存」の話になるんですが、7話がびっくりするくらい面白くて、twitterに書こうと思ったけど長くなったので、こちらにまとめます。


生徒会の一存の7話に関して、twitterでkokoneさんのTLが本質を突いていたので、引用させていただきます。


これは東京旅行の話だけれど、その実態は生徒会室から出ていないのと同じだ。生徒会室の外に出て、しかも旅行までしているにもかかわらず、外部の人間と関わることがないどころか、モブさえほとんど出てこない。札幌駅のオブジェ「妙夢」の周辺にはだれもいない(!)。
東京に着いても各地を巡るでなく、話は旅館の室内で進む。外出するのは早朝だれもいない時間。――この、生徒会室の外にでる話が、逆説的に、このアニメが「生徒会室」アニメであるのをいちばんよく示していると思った。
移動手段が寝台列車なのは、寝台の閉鎖性・私的空間性に意味があるような気がする。飛行機や寝台車でない普通の列車では、この「生徒会室そのまま」の雰囲気がでない。

http://twitter.com/_kokone より引用

kokoneさんが指摘しているとおり、今回のエピソードは東京へと旅行をする話であるにもかかわらず、その実「室内劇」という性質をもっともよく反映している回です。加えて、彼女たちが実は北海道に住んでいると分かる回でもあります。今回のエピソードを見て初めて、美夏の転校の話が分かりました。内地ってそういうことだったのかーと。今回私が面白いなと思った点は2つで、「缶ジュースを飲みまわすこと」と「朝日を見に行く」こと。
まず「東京に来て朝日を見に行く」という発想が面白かったです。北海道で十勝平野とかで見たほうが眺めがよさそうに思えるのに、あえて東京でビル群の合間から昇る朝日を見ようと考えたところが面白かった。おそらく帰りの電車の直前で、何一つ「東京らしいこと」をしていない彼女たちが、とっさに考えてとった行動なのでしょう。この時点で彼女たちは「東京らしさ」よりもまず、「5人の共体験」を志向している。それも、宿の室内における共体験でなくて、「外に出たからこそできる」共体験を求めています。直前までの宿での一幕から、唐突に夜明け前のシーンに繋がるのですが、画面がノーヒントで連鎖してゆくさまに彼女たちの思考の片鱗を見ることができるのではないかと思います。
結局、曇っていて日の出は見れないのですが、彼女たちは晴れやかに生徒会活動を締めくくります。一応の「東京のらしさ」もあった日の出すら見れないのですが、「5人の共体験」という目的は達せられたのです。
しかし、彼女たちが何も「東京らしいこと」をしてなかったかといえば、それもまた違う。日の出を見るときの、「缶ジュースの飲みまわし」という共体験が唯一「東京らしいこと」だったのかなと。いかにも古びた青春像といったところですが、金の無い田舎の子供たちが、金がないと何もできない都市においてとる行動。唾液の交換という肉体的な接触を含んでいて、一段とディープな「共体験」であるだけでなく、彼女たちは、「金銭と都市」「都市と貧困」という側面において確かに「東京」を経験し、北海道に帰って行ったのです。


あと余談ですが、電車内の会話からするとたぶん金を持たずにやってきたのは美夏だけのはずなのに、その辺の事情を無視して缶ジュースの飲みまわしをやらせる強引さは花田十輝さんっぽいなと少し思ったり(そしてそれが格好いい)。そして「語尾に『にょ』をつけて喋れ」とかいうくだりで、「それは先達が偉大すぎて無理!」と返されたところに、じゃあ今までのパロ元はもしかしてどうでもいい作品だと考えているのかなーと、変な曲解をしてしまったり。