『のんのんびより』のタイトルの意味するものとは


アニメ版『のんのんびより』について、今回はタイトルの「のんのんびより」の意味するところを少し考えてみようと思う。これは「のんびりする」+「日和」からもじった造語で、字義通りに読めば「のんびりするのに適した環境」のことを指している。「環境」と言っても場所より時期的・時間的なものに重点が置かれていて、田舎に住んでいればいつでも「のんのんびより」であるというわけではない。さらに、「のんびりすること」は主体的な行動であるという含意もあるように思う。田舎だからのんびりしなければいけないということでも、田舎の人はのんびりしているということでもない。「環境」と「主体的行動」の協奏のことである。かくして、やたらにゆっくりとしたリズムで刻まれる風景と伴奏の上を、不安定なリコーダーの音が「のんびりと歩いていく」(第1話アバン)。


田舎は「のんびりすることに適した場所」であるかもしれないが、「のんびりするための場所」であるわけではない。少女たちは駄菓子屋に行くし(第2話)、秘密基地に家出もするし(第3話)、ちょっとした冒険もする(第4話)。少女たちはいつも「のんびりして」はおらず自由に行動し、そして「田舎」は少女たちの自由な行動を包含してくれるだけの膨大なスペースを備えている。反面、田舎の膨大な広さに比較して少女たちの行動のスケールの小ささを実感する時が訪れる。第1話では丘の上の桜の木と田舎の風景を見晴かし、第2話では大人ぶった蛍に公衆電話の影がふっとかぶさり、第3話では子猫を養う母猫と空の高さに自分たちの知らぬ世界を感じ、第4話では冒険の次がないと分かったとたん膨らんだ期待の分だけ「広さ」がのしかかる。こうして「のんのんびより」が訪れ、その時期にあって、少女たちは小さなお出かけの区切りをつける。


もちろん、それは田舎の圧倒的なスケールが少女たちを押しつぶすような性質のものではない。「のんのんびより」の訪れを知らせるのは、第2話では傾いた陽のつくる公衆電話の小さな影であり、第3話ではちくわをかじる子猫たちと母猫の威嚇だった。それらは「田舎のスケール」を背景としながらも手の届く日常の範疇に収まっている。赤とんぼが秋の訪れを知らせるように、むしろ日常の小さなできごとこそが「のんのんびより」を秘めるのである。そして第6話にあって、ついに「田舎のスケール」が後退する。「いろいろあった」夏休みの一日の締めくくりとして「のんびりする」少女たちの手元では、線香花火の小ぶりな火の玉が黒の中に輝く。