アニメ版『人類は衰退しました』 「妖精さんの、おさとがえり」編に対する批判


アニメ版『人類は衰退しました』は楽しく見ていましたが、アニメ版の「おさとがえり」編はちょっと良くないなと思ったので原作に寄りかかって批判をさせてもらいます。5,6話についてはアニメ版に全く好意的ではないのでご勘弁を。あと原作信者がうるさいなとか思う方もご注意を。実際そのとおりなので。


「おさとがえり」とあるが、そもそもまず故郷とは何か。妖精さんにとっては「電磁波の圏外(童話的世界)」であり、人間さんにとっては「都市遺跡(妖精さんの居ない世界)」であり、パイオニアさんとボイジャーさんにとっては「地球」である。さらに「故郷」というテーマは種の起源という意味も含んでいる。妖精さんにとって童話というのは種の起源でもあるだろう。人間さんにとっては、本質的に動物であるということ。『人類は衰退しました』における人間さんと妖精さんの大きな違いの一つは、人間さんは結局のところ生命維持活動に時間を拘束されてしまう動物に過ぎないということである。だから5話の遭難中、乾きに苦しむステップは本来飛ばせなかったはず。例えば原作だと助手さんが残り少ない水を一気に煽ってしまう場面(動物的本能に支配される場面)とかね。あんなにあっさりと妖精さんに出てきてもらっては困る。
イオニアさんとボイジャーさんの起源というのは6話のストーリーの基幹である。終盤で語られている内容で基本的に問題ないが、一つだけ抜け落ちていることがある。彼らは後世になって改良が施され、いわゆる人工知能のようなものが搭載されているということである。まぁ喋って動いているのを見れば明らかなのでアニメ版では無くてもいいだろ、という見解もあるだろう。しかし、詳しいSF的機構は適当でもいいから台詞でも改めて説明しておくべき部分だったと私は思う。その理由は彼らの「思考形式」がどういうものであるかをなんとなく匂わせておくべきだからであり、詳しくは後述する。


「故郷」には童心に帰るみたいなニュアンスもあるかもしれないがそれはさておき(その部分はうまくやれてたと思うので)、パイオニアさんとボイジャーさんの会話から推察されるもう一つの重要な意味がこの言葉には掛かっている。つまり「意識」の起源である。彼らには人工知能が搭載されているが、ボイジャーの話によるとはじめから「意識」はあったということになる。これは「ひみつのこうじょう」編を参照すると分かりやすい。「ひみつのこうじょう」編は妖精さんの道具にはどれも意識が備わっていて、たまたまそれを「表現する」方法を備えた加工済みチキンだけが暴走できた、という話だった。つまりパイオニアさんとボイジャーさんに搭載されている「人工知能」(付属している入出力器官も一式で)もまた、本来備わっている「意識」を表現する形式、ということだ。
「意識」とは何なのか。原作でもアニメでも「はじめからあったもの」以上の答えは今回用意されていないが、今回のエピソードで明確に言えるのは、「意識」なるものと「知能」(思考形式)が区別されているということだ。これは原作7巻で明かされることなのでここで引用するのは少し卑怯だが、7巻で「わたし」は同じように人工知能を相手にして「自分と同じような条件の知性でなければ認識できない」というふうに分析している。「認識」は「思考形式」のほうに依存する。まぁ探査機さんは入出力器官一式がデジタル式なので当然かもしれない。だから1ビット単位で思考する探査機さんたちは0/1の論理の世界から解き放たれた妖精さんを「認識」できない。しかし、より根源的なところで、3種族に通底する「意識」なるものがあるらしい。それが今回、任務遂行を目の前にしていながらそれを「認識」すること叶わなかった探査機さんたちの救いである。
「わたし」が受電設備を破壊するのは、何も探査機さんたちが故郷で安らかに眠ることを望んでいるから、というだけではない。探査機さんたちの任務は彼らの起源であり、軽んじていいわけがない。彼らの探す未確認知的生命体=妖精さんとの(将来的な)相互理解の可能性を、「わたし」は信じているからである。原作には終盤にもう一度あるはずの、ボイジャーさんが妖精さんを認識しようとして失敗するところや、そのことに対する「わたし」の感傷など、ちょっとでもいいから触れなければならなかったと思う。それどころかアニメ版では「いいじゃないですか、OYAGEさんで」である。何を言っているんだキミは、と言いたくなる。それでは何のための「おさとがえり」なのか。


上記のような理由で「おさとがえり」編の前座として「ひみつのこうじょう」編を持ってきたと思っていたんだが、どうも違ったらしい。もともとあまりアニメ化しやすい小説には思えないし(1〜4話は良かったと思うが)、そのうえ色んなネタがてんこ盛りの300ページ超の長編を2話で片付けろ、ってわけだから難しいんだけど、それにしてももうちょっとやりようはあったんじゃないかな。猫とオウムガイのじゃれ合いは可愛いかったんだけどね……