『うさぎドロップ』第1話


うさぎドロップ』の第1話が素晴らしかった。

まずなにより、りんの仕草一つ一つが細やかで可愛い。あやとりの作画は結構注目されていたように思うけど、それ以外も歩きや走りの仕草とか、仏壇の前でうつらうつらとしている場面とか、この辺りの芝居にグッと来てしまった。
りんの仕草が同い年くらいの麗奈と対比的に描かれていたのも印象的だった。麗奈はお爺さんの死を理解しているのかしていないのか、無邪気に家の中を走り回っていたようだったが、りんは仏壇の前で手を合わせている場面が最初の方にあって、その上で時々「子どもっぽい」仕草が垣間見える……という感じで。
第1話を通して見られる描写の類はもう一つあった。平たく言えば「お爺さんの死の暗喩」なのだけど。分かりやすいところでは終盤、風に吹かれて舞い上がる花と一緒に、てんとう虫が天に昇っていき、その様をりんがじっと見ている……という場面。そのちょっと前にも花が舞い上がる場面があるのだけど、悠然と花が舞い上がるさまはこの粛々とした雰囲気の中ではいい意味で浮いていて、目を引く。この他にも、線香の煙や煙草の煙は同様に祖父の死を思わせる描写の類だろうし(思えばあの会場は喫煙率が高かった)、こういった「上昇の指向」が直接死を匂わせる表現の他にも、白黒幕が風でたなびいている様子なんかは喪の雰囲気が強く出ている。
これらはもちろん「線香」「白黒幕」の意味するところを踏まえてのものだけど、その粛々とした趣の動きにこそ強く喪の空気を感じ取るわけで。そしてこれらに共通するのが、「自然現象」にその意味を込めている点。お爺さんの死というのがまず自然の流れの一環なわけで、遺された側はそのことを様々な感情を持ちつつも淡々と受け止めて、そのことを知ってか知らずか線香の煙は淡々と揺れる。最初に述べたりんの「能動的な動き」に対して、「喪の空気」の代表たちは「受動的な動き」をする。この点において「葬儀の空気」とりんの仕草との対比が綺麗に成立していて、素晴らしかった。
最後に。第1話はこの2つの対比が軸だったように思うけど、それを「破る」場面が2箇所あった。一つ目はお爺さんにリンドウの花を捧げるために庭に降りていく場面(白黒幕をりんが「揺らす」)。もう一つは止まってしまった柱時計を直そうとする場面。前述の「淡々とした自然の流れ」にりんが抵抗を見せているように取れて、そこが私の琴線に触れた。