ヨスガノソラ 第6話「アキラメナイヨ」


AT-Xと契約しました。瑛ルート、ものすごく良かった……。
何が良かったかと聞かれると、まず真っ先に、阪田佳代さん、と答えざるを得ない。表情の芝居に相まって、表情以上に「声色」が物語る。「だって、あんなに大切にしていたペンダントだって無くなっちゃったんだもん……」と張り詰めていた気が瓦解していくところ、DNA鑑定の話に「わかったよ。あたし聞く。」と妙に元気な声で(「笑顔の仮面」)返事を返すところ、鑑定の結果を受け取るに際して「ごめん、やっぱりだめだよぉ……」と崩れるところ、表情アップのショットも挟んではいるけど、この台詞を言わせる段ではヴォイス・オーバーだったり顔が隠れていたり。おそらく表情だけでは表現しきれないだろう心理の揺らぎを引き出すためなのかな。ともかくこの迫力は、ちょっと凄いよ。


悠の行動は、一言で言うと青い。でも瑛が好きなのは、悠のその「青さ」。悠は、「DNA鑑定をしてどうする」というやひろの投げかけにも、「永遠につづくものはあるよ!」に対する瑛の全否定にも答えられない。答えられないまま、DNA鑑定の話を進めていく。でもそれが第5話のように「空回り」しないのは、本来自然に訪れるべき「和解」だったから。結局のところ、自然な形での「和解」を阻んでいたのは、瑛の「杞憂」だった。
そう言ってしまえば簡単だが、瑛の葛藤は凄まじいものだった。悠を愛しく思う気持ち、自分の出生の秘密を知りたいという気持ちも本心なれば、一葉たちの関係を思う気持ちも「本心」であった。後述する「性格」と「内面」の関連で言うと、瑛は気遣いをする「性格」であっても、こと一葉たちとの関係を壊したくないというのは、そのレベルを超えて瑛の「内面」(≒本心)であったはずだ。だから瑛はあれだけ後押しされてもなお、鑑定の結果を見ることを拒むのだ。あの母親が自分の気持ちを打ち明けることをしなかったら、最後まで鑑定結果を見ることは無かったかもしれない。
一葉編でも瑛編でも、悠のがむしゃらな行動が実を結んだというよりも、「和解」はすぐそこにあって、いつでもちょっとしたきかっけで変わるものだった。


第5話の器用なところは、悠の「性格」を見せつつ「内面」を隠しているところ。悠の「青さ・純粋さ」(≒性格)と悠の内面(表層的な心理、ではない。表層的な心理ならば、もちろん今まででもたくさんある)は一応のところ独立であるということ。どうもヨスガには、表情のアップに際して、「性格」を見せるアップと「心情」を描写するアップの、似て非なる二種類があるように見える。「永遠になくならないものはあるよ!」と言い切る悠の表情。これがまさに、悠の性格を叙述するものだ。

悠が本当に瑛のことを好きなのか、そんなことは悠にだって分からない。そんな自問自答をすることもない。というか、そんな問い掛けをしないのが普通なんじゃないか。一葉編での悠はヒロイックだったので引っかかる点ではあったが、瑛編のこの「青さ」を見てしまえば、そんな問い掛けをするわけがないと、自然に受け入れられるんじゃないだろうか。内面描写なんて、無くて当たり前なのだ。瑛が好きなのは、そんな哲学的なことでいちいち立ち止まってしまう悠ではない。(そしておそらく、悠が自分から発することのないその類の問いかけを外的に突きつけられるのが、「禁忌」を破る瞬間であるのだろう、と私は予想している)
悠の「純粋さ」さえ見せておけば、あとは「年上」の役どころである瑛の芝居如何ではラブストーリーとして成立してしまう。第5話ではこの采配が見事だった。これは一葉編には無かった繊細さだった。(おそらく穹ルートのために)悠の内面を見せない、というスタンスは一貫しているが、かと言って二人が恋に落ちることに疑問を感じる余地はない。
瑛編を通して第4話のあの「悠の表情のアップ」の意味も掴めた。あれも今回の表情と直結する形で挟まれた、「青さ」だよね。一葉編でも瑛編でも、悠はただ純粋なだけなんだけれど、一葉と瑛で悠の見え方が変わってくる。


瑛編では「切り返し」の使い方と「ロングショット」の使い方が一葉編と対照的、という話をしたが、やひろと悠の会話に顕著なように、第6話もそういう方向性だった。最後で、ロングショットの意味が一転して暖かさを生み出すのが非常に良い。一葉編の情熱とはまた異なる暖かさだった。あと、これでもかとばかりに1〜4話の同ポを仕込んできたのはさすがに気になってる。
しかしまぁ、第4話のあのキスにちょっとミスリードされてしまったかもしれない。というか、あの双子をあの姉妹に重ねすぎた。


そして初佳さんを攻略しかけている、いや、初佳さんが悠を攻略しかけているCパートにビビる。あの星空をセルフパロしてしまうCパートの節操の無さも健在か(笑)