ヨスガノソラ 第4話「ハルカズハート」


そうきたか…っていう感じ。「ハルカズハート」というサブタイは、虚飾に見せかけて微妙に本質を付いているとも言える。とにかく、(少なくとも渚一葉編での)演出のスタンスは、次の会話のシーンを見れば、もう明らか。

瑛「かずちゃんのこと、嫌いになっちゃった?」
悠「好きだよ。うん、好きだ」

”悠と一葉のラブストーリー”に仕立てたいなら、ここぞとばかりに表情のアップを入れるんじゃないかと思うけど、ここで表情を見せない。ベッドシーンの入り、「好きだよ」と囁くシーンもミドルロング。


4話はアップ多用で表情を見せつつ、悠の心の内は如何に…と問いかけてくる挿話だった。
「なのにお嬢様ってば仮病で…っと、おっと」と口を滑らせる初佳のニヤリとした表情とか、「家族でしょ」(この言葉を穹に言わせるのか!)の後の穹の、何かを求めているとも取れる切なげな表情とかも凄く良いのだけど、一番強烈なのは、瑛と一葉が喧嘩した後に見せる、のっぺりとした、演技過剰な表情。
竹箒を超えて瑛の内面に踏み込んでゆく一葉を、瑛はキスで押し戻す。そして

「かずちゃんが無理するのは、お父さんを責めたいだけなんじゃない?」

と、姉としての言葉。しかし瑛は本当に「姉妹でありたい」と思っているのだろうか。姉を演技しているのだろうか。あのキスは本気なのでは。「能面」を演技している瑛の表情は、そういった疑念を晴らさせてくれない。この挿話では最後まで、瑛が「これが一葉にとって幸せなはずなんだ」という想いから行動している可能性を、消させてくれない。


悠の心理は見えてこないので、行動を追っていく。Aパート冒頭、ヴィオラの演奏を始めようとしてとどまる一葉を前に

悠「難しいんだね」
一葉「ヴィオラは私にとって、特別な楽器だから」
悠「頑張ってボクも、もっと特別な存在にならなきゃ」

何この軽薄なセリフ。
Bパート冒頭では、やひろさんに瑛と一葉の父親について問いただす際の

「何もしないまま、見ているだけなんて嫌なんです」

ここで希少な悠の表情のアップ。恋愛感情よりむしろおせっかいで動いているんじゃないかと邪推させるためのアップ…と言えなくもない。
そしてBパート終盤一葉のヴィオラの音を聞きつつ、昨晩の余韻に浸る悠…と来てしまうと、悠はマジで誰でもいいと思っているんじゃないかと疑ってしまう。


形式的には、父親が瑛の頭を撫でる「手」が回想・過去に褒められた時の「手」と重なって思い出す父親の優しさ、ヴィオラの演奏シーンは悠のくれたオルゴールへの返答として、イベントだけ追っていくと恋愛譚として纏まっているように見える(そういう設計がされている)。しかしよくよく振り返ってみると、一葉と父親と瑛の「3人の問題」は、結局のところ一葉が勘違いをただし、自分のエゴと折り合いをつけて父親と和解するという、「一葉ひとりの問題」だった。一葉には自分の独善に気づかせてくれる姉と「手を引いてくれる」恋人が必要だった。では瑛にとっての一葉は?悠にとっての一葉は?となったときに、シナリオは何も答えてくれない。
そうすると、あのヴィオラの演奏シーンは、一葉の「成長」の「発表会」として認識されることになり、痛烈な皮肉の構図を生む。瑛は(空気を読んで)寝入り、悠は妄想に耽り、一葉はヴィオラを弾く。「みんなで乗り越えた」ように偽装されたトラウマは、三者三様のエゴの結果だった。


さらに穿った見方(?)を推し進めると、あの「濡れ場」(私の見たTOKYO MX版では印象的な真っ黒い闇によって暗喩的に表現されていた。私は正規版を真っ黒の中に妄想した上で書いている。一応、この点に留意)は第1話の穹の自慰と対置されているんじゃないだろうか?となる。「悠のために」、良かれと思って、「家族だから」と手を引く穹。ドラマチックなキスやセックスの裏で、同じ頃合い、あの診察室で一人内々に処理している穹を幻視することは、決して不可能ではない。一葉が瑛と「喧嘩別れ」した後、春日野家の診察室から穹が顔をのぞかせるショットを入れているのも、そういうつもりなのではないだろうか?と。


そんな訳で、妙なちぐはぐ感を持たせたまま渚一葉編が終劇してしまう。こんな風に「分岐」という構造を活かしてくるとは思ってもみなかった。完全なハッピーエンドにはしない。登場人物の「ありえるかもしれない心理」を匂わせ、「これで良かったのかな…」という余韻を湛えて、次からは別のルートを辿ってゆく。
ヨスガノソラ、すげー面白いです。