「涼宮ハルヒの消失」についての雑記


涼宮ハルヒの消失」を見てきました。Twitterなどで良い評判を聞いていたので期待を持って見に行ったのですが、なるほど噂に違わぬ出来。おそらく散々と指摘されるような事柄でしょうが、簡単に感想を書きたいと思います。




まずは「エンドレスエイト」がどのようにして消失に接続されているか、ということ。これについては目覚まし時計の使い方が巧妙だった。目覚まし時計の音に対して言い知れぬ「不安感」を感じ、そして日常への回帰の合図としての目覚まし時計の音に「安心感」を覚えるのは、エンドレスエイトという体験による刷り込みの結果であろう。
時計に限らずともエンドレスエイトを思い出させるようなシーンはあったし、キョンの口からも「15000回繰り返した夏休み」というセリフが飛び出していた。そもそも「反復と差異」という命題自体がエンドレスエイト的であるとも言える。キョンが「別の世界」に迷い込んだ1日目と2日目、下校する途中のファミリーマートが反復して描かれるが、そこに長門が居るかどうかという差異がある。ここに1日目から2日目へのキョンのささやかながらも決定的な進歩が見られるわけだ。


もう一つ、鏡/ガラス/床などに反射するキョンの姿が執拗に映されていることについて。(長門の瞳やパソコンのディスプレイなどにも映っていたが、これらは少し様相が異なるかもしれない)。特に最初の方で登場する「カーブミラー」は、最初はキョンが歩いているところをロングで捉えているのかと思ってしまうが、カメラが引いていくに従ってカーブミラーの縁が映り込んできて、実は鏡の中を見ていた、と明かされるようになっている。ちょうど、「鏡の中」の世界へと迷い込んだことにしばらく気付かなかったキョンの心境と対応しているように見ることができる。
このようにキョンが反射する対象は「別の世界」を表象しているわけだが、それと同時に鏡像の自分を見つめるキョンには、自分の「日常」について考え直す姿を見いだすことが出来る。これらは、普通ならばイメージを提示するに留まるところだと思うのだが、クライマックスになってガラスに反射するキョンが喋り出すのは実に気が効いていた。キョンは突然悟りを開いたのではなくて、見知らぬ世界の中で「自分の知っている世界」を考え直すストレスに晒され続けてきたのだ。


そして最後に、エンドロール後の図書館の長門。結局のところ、キョンは元あった日常へと回帰していき、長門にとっては悲劇的な結末になるわけだが、事件の前後で長門に何の「差異」も見られないとすればあまりに救いがない。屋上のシークエンスだけでも十分かもしれないが、貸し出しカードを作成する子どもたちを見て口元を本で隠す長門、という決定的なカットを用意してくれていた。このことが素直に嬉しかった。