君に届け 第10話 「協力」


胡桃沢の爽子への干渉


Aパート全体にわたって展開されているのは、爽子に対して胡桃沢がどのように干渉してくるのか、その様子の描写です。第10話の冒頭は前回と全く同様に、ボールが空に向かって打ち出されるカットがあります。前回と異なるのは、ボールの飛んでいく向きが、前回は左から右だったのに対して、今回は右から左。ボールの進行方向を逆にして並列に置くことで、対立軸を明らかにしているといえます。ここで、千鶴から受け取ったボールを爽子が蹴ろうとするときに、胡桃沢から声がかかってその動作が中止される。この後も、千鶴・あやねとの会話が胡桃沢の介入によって中断されたり(BGMも止まったり)、大量のプリントを運んでいる爽子が登場し、以前胡桃沢とぶつかったシークエンスが反復されるも、胡桃沢の介入によって爽子がプリントを落とす動作が阻害たりと、爽子の行動が胡桃沢によって次々と阻害されていきます。特にボールを蹴ること=コミュニケーションでしたから、爽子がボールを蹴ることを阻害するシーンはクリティカルで、胡桃沢がいかなる意図を持って爽子に接近してきたのかが良く分かります。


胡桃沢が爽子に邪魔をしてくるにあたって、かならず満面の笑みとともに胡桃沢の背後が装飾されています。その際、しばしば「白い花」のイメージが用いられていることには注意を払っておきたい。回想シーンの中で胡桃沢の背後に蔦がニョキニョキと生えて白い花が咲く(第9話)というものもあって、「白い花」が今回くるみの背後に頻繁に登場し、「くるみのイメージ」として定着させられています。例の爽子の花壇は毎回かなりの度合いで改変されていて、第8話ではもっとカラフルな花が咲いていたのが、今回マーガレットの花が爽子の花壇に再び入り込んできています(まあ、写っている花壇の位置が違うだけなのですが)。爽子はせっせとこの白い花を世話していますが、白い花は爽子と風早くんが会話するにあたって執拗に画面に入り込んできて、ついに胡桃沢自身が窓を開けて二人の間に割って入ってきます。この花はおそらく胡桃沢で、このシークエンスの終わりに「白い花の花びらが欠ける様子」が描写されますが、胡桃沢の傷ついた心/欠けたプライド、のようなものを表しているのでしょう。白い花をせっせと世話する爽子は、おそらく漠然とした疑問を抱きながらも、「理想像としての胡桃沢」を大事に自分のこころの中で育てている、ということの表れだと思います。



青空の役割


第8話の時点では、「体育祭編においても、青空は男性一般の象徴」という趣旨の話をいたしましたが、その意見を撤回しなければならないようなカットが、今回ありました。それは、風早くんが空から降ってくる野球ボールをキャッチするカット。千鶴や爽子が蹴り上げるサッカーボールの上昇と野球ボールの下降が、送信/受信という対立軸に当てはめられています。すると、この「青空」は送信/受信の間を取り持つ、つまりコミュニケーションの媒介であると捉えた方が良いでしょう。この青空は中間者として「君に届け」におけるコミュニケーションの実態を良く反映していると思います。蹴り上げた「サッカーボール」が、「野球ボール」として届いてしまうような、それくらいの誤解を孕んだコミュニケーション。


また、第8話以降において、校舎の外側が頻繁に描写されていますが、これに関しても「青空」が絡んでいます。この校舎は縁が赤く彩られていて、第9話にもなるとそれなりに赤みを帯びてきた木々と並列に描写されていますが、この校舎の「窓」に「青空」が反射しているカットが、しばしば見られます。第8話でも見られるのですが、今回の第10話でいうと爽子の落とした消しゴムを風早くんが拾う時に手が触れて…というシーンの直前です。また、今回千鶴とあやねが窓辺に立って胡桃沢の昔話をするシークエンスにおいて「窓の外の青空」が強調されていたように、もちろん内部から窓の外を覗き込む時にも青空は見えますから、青空は校舎の内部/外部の間の媒介という役割も与えられていると言えます。第1話では風早くんと爽子が窓越しに会話をしていましたが、今回はくるみが、窓を開けて爽子に話しかけてきます。(ちなみにこのシークエンスでも、注意深く見ると、校舎の外から見たときに窓に青空が反射しているのが見て取れます。)
第10話においても、「夕方にあってまだ青い空」が何度か描写されますが、それもコミュニケーションの媒介として登場しているのであろうと思います。



爽子の心


今現在爽子は、風早くんへの気持ちに徐々に気づき始めながらも、その正体はほとんど自覚出来ていない、そんな状態であろうと思います。胡桃沢に対しては「理想像」のようなものを抱いているけれど、胸の中にチクリとした嫉妬を抱いていて、しかもその嫉妬にも自覚的でない。そんな彼女の心象風景、爽子が自分の心の中を洞察する様子が今回表現されていました。Bパート、爽子と胡桃沢がベンチに座って会話をしているシーンにおいて、あたかも木陰から爽子たちの様子をのぞき込んでいるような視点で描かれたカットがいくつかありました。具体的には画面のふちに葉っぱが描かれている。これは何なのかといえば、この辺りは胡桃沢に「怒りマーク」が浮上する周辺の数カットを除いて、基本的に爽子の主観で進んでいますから、これは爽子の主観カットなのでしょう。彼女は胡桃沢との会話の中で、(胡桃沢にそんな気は毛頭ないのですが)、第三者的な視点を獲得した、それが木陰から覗き込むような位置のカメラ、の正体であろうと思います。
また、木陰から覗き込む視点、ということで分かる通り、木の葉は「視界を遮るもの」として描かれています。このシークエンスにおいても木の葉の奥に太陽の光が見える、といった感じのショットがありましたが、Bパート最後のシークエンスにおいて明確に「木漏れ日」が描かれています。こうして前後を見ると爽子の自己洞察が少しは進んでいる(胡桃沢への嫉妬を自覚した、という程でもないにしろ、意識した)のですが、依然として心を覆う「葉」は多く、自分の心の全体を見渡すには至っていない。木の葉が風でざわめく音は、胡桃沢に揺さぶられた爽子の心の波模様。そんな感じに爽子の心象風景は「木の葉」とともに作中の風景に表出しています。