生徒会の一存 第9話 「私の生徒会」 ― 有向的デバイスとしての「手」と、終了のポーズ


今週の生徒会の一存の主題は「手」―握手占い、終了のポーズ、知弦の置「手紙」。特に生徒会がずっと使っている「終了のポーズ」について言及されている回でもあり、知弦の過去と現在を「手」にまつわる描写で対比して綺麗にまとめ上げた素晴らしい回だったと思います。


アバンでは、まったく質の異なる2つのエピソードが象徴的にまとめられています。フラッシュ・バックとしての知弦が杉崎の「手を握る」シークエンスと、フラッシュ・フォーワードとしての知弦が奏と再会するシークエンスの冒頭です。冒頭から「杉崎の手を握る」カットを入れて「手」を強調し、親密感にあふれるシークエンスの直後に、橋の上で一人たたずむ知弦をロングから捉えたカットにつながります。この前後で大きく色彩が転換していて、特に夕暮れの赤色と川を流れる水の青色が対比されており、親密感と孤独感に対応しています。この橋は知弦の過去と現在を結んでいると考えてよいでしょう。


知弦が現在において杉崎に差し向けている「手」―親密感を伴う握手は、AパートとBパートで反復されます。1度目は「本を読もう!」という、握手占いとの知弦置手紙への接続を意図したコメディパートの内での、「握手占い」において、そして2度目は知弦が事を終えて帰ってきた後での「握手占い」において。特に後者のほうでは知弦と杉崎の二人だけの保健室のシーンが再び挿入され、アバンの前半がフラッシュ・バックであったことが分かります。


知弦の過去において、奏が知弦に差し向けた「手」というのは、知弦とすれ違う子供たちのカットを起点として始まる回想シークエンスにて描かれています。奏の知弦に対する嫌がらせの代表として、奏がノートか何かを破って川に捨てるシーンが取り上げられているとおり、奏が知弦に差し出す「手」というのは暴力のデバイスであったのです。(あまり具体性の無いセリフと映像ではありますが)
それに対し、現在において奏は「手紙」によって知弦にアクセスしてきています。奏の手はノートを破る手だったのに対し、奏は自分の気持ちを書にしたためて知弦のもとに持ってくるという、奏の現在と過去において綺麗な対比があります。
知弦が橋に向かう途中、誰もいないバス、青空、…と孤独のイメージが次々と繋げられた後、奏と再会するシーンの冒頭では親密感を意味する夕暮れ時の赤色へと色彩が変化しています。そして奏からの手紙の返事として、知弦は「終了のポーズ」を奏に捧げます。そして、そのポーズの意味は「明日も晴れますように」というおまじないだと言います。「夕焼けは晴れ、朝焼けは雨」というよく知られた事実が示しているとおり、この「おまじない」が的確に未来を指し示していることもうかがえます。


今回のエピソードにおいて、「手」は有向性を備えた対象として描かれていることが本質的だと思います。知弦が奏から貰った、自分の過去を晒す「手紙」は、生徒会へと再び差し向けられ、最終的にくりむの、手のひらを上に向けた「終了のポーズ」として、明日の生徒会へと向けられます。「終了のポーズ」には、生徒会の日常が連続していきますようにという願いを、今日から明日へと、「手」によって差し向けている、という意味があったのです。



あと、余談になりますが、次回予告のセリフもなかなかに示唆的であると感じました。超電磁砲と書いてレールガン、刀鍛冶と書いてブラックスミスと今期の人気アニメを挙げたその次に、「生徒会」と書いて「せいとかい」。漢字に全く違う読みを当てるのがオリジナリティの表出の一端であるとして、「生徒会」は既存のアニメ・ギャルゲー的文脈における「生徒会」から決して逸脱しない、と主張しているように聞こえます。