「夏のあらし! 〜春夏冬中〜」と「生徒会の一存」と「そらのおとしもの」


オトナアニメ Vol.14 (洋泉社MOOK)

オトナアニメ Vol.14 (洋泉社MOOK)

夏のあらし! 〜春夏冬中〜」の感想を何も書いてないので、何か書こうかなあ…と思っていたら、10日に発売した「オトナアニメ vol.14」の中で、高山カツヒコさんがこんなことを言っていたので、ちょっと紹介します。

まず新房監督と話し合ったのは、「キャラもの」として良い作品にしたいということでした。ただ、原作のキャラは「ツンデレ」とか「ネコミミ」とかみたいな記号によるキャラ表現じゃなく、各キャラが背負っているドラマがキャラクター性になっている。だから、キャラクターが背負っているストーリー的な部分をちゃんと描きたいという意識がありました。

オトナアニメ vol.14 p.89


このところ、「夏のあらし!」はあんまりシャフトっぽくないなあ…と漫然と思っていたんですが、その原因はまさに、「記号表現に依らないキャラクター性」なんですよね。「さよなら絶望先生」にしても「化物語」にしても、「記号表現」に大きく依存したキャラ付けをしているのに、「夏のあらし!」はそうではない。


今期は同じ「コメディ」「密室劇」というジャンルの中で、「夏のあらし!」と真逆の立場をとっているのが「生徒会の一存」ですね。キャラクターが「記号表現」だけで成立しているのは良いと思いますが、さらにはパロディという要素も「記号表現」の一種であると考えられます。つまり、既存のアニメのセリフあるいはキャラクターというのは、そのアニメにおける文脈によってある程度の意味付けがなされており、それが既に視聴者の間に浸透している状況では「記号」としての役割を果たす、ということです。メタ発言も同様に「現実世界における事象」を引用していると考えられますから、すると「生徒会の一存」というアニメは記号表現をつぎはぎして成立していることになり、これは普段のシャフトの立場と通じるものがあります。するとむしろ「生徒会の一存」はシャフトが作ったほうが相応しいアニメの気もしてきますが、同じクールに「記号からの脱却」を実現している「夏のあらし!」をシャフトが制作しているのは非常に面白い偶然ですね。まあ「夏のあらし!」のそれは2クール目の特権でもあるので、始まって間もない「生徒会の一存」と比べるのは、いささか「生存」側に分が悪い気もしますが。


ところで、「コメディアニメ」として面白いと思っているのが今期もうひとつあって、それは「そらのおとしもの」です。こちらは「密室劇」ではありませんが、「キャラクターもの」であることは共通しています。2話でパンツが群れをなして空を飛ぶEDというシュールなものを見せられてしまって、むしろ「突拍子のないことをやるアニメ」という印象が強くて、キャラクターの魅力というのが薄れてしまっているということもありますが、これはどうでしょう、キャラクターものとして「生存」と「夏のあらし」のどちらの立場に近いでしょうかね。やはり「記号表現」に多分に依っているのですが、どうもそれだけではなくて、ある種の「ドラマ性」がキャラ付けに関連しているという気がしているんですけれど、「そらのおとしもの」についてはまだあまり考えがまとまっていないし、始まったばかりでもあるので、この辺で切り上げます。




・それで、先日「面白いアニメ」として挙げた中に、「戦う司書」を追加しないといけないなと、2話を見て思いました。こういうプロットは岡田麿里さんはよくやる気がします。1話目はプロローグというか、ダイジェスト的に作って、その段階ではあんまりよくわかんないけど、2話目から世界観を詰めていくっていう構成。「人間爆弾」と言われても、実際にシナリオが拾い上げた人物が「爆発」してみないと、そのドラマ性に実感がわかないんですよね。実際に人間が爆発する衝撃的な映像を見れば、人間をそんな風に改造する「神溺教団」に具体性が出てきて、それらに敵対するハミュッツ=メセタ率いる武装司書、という構図にも実感がわく。大きな物事を説明するときに身近な小さな出来事から説明していく、っていうのはだれでもやるような手法だと思うけれど、それが成立するのも、1話目で概略を見せられているからですよね。この辺の構成はさすがというか。