「宇宙をかける少女」とは何か その1 - 「コミュニケーション」の獲得という側面

宇宙をかける少女とは何か、放送終了時から時折考えていました。そらかけとは、獅子道家が50年前に都合よく「鬼=レオパルド」を利用したしっぺ返しが、今になって返ってきて、獅子堂家および秋葉さんがそれに振り回される、というお話。秋葉さんが「宇宙をかける少女」を押し付けられたスケープゴートだとか、主役はレオパルドと秋葉ではなく秋葉とイモちゃんだとか、そういう断片的な理解はできていたのですが、全体として何をやっているのか、もやもやとしていました。そんで、id:karimikarimi:20091003にある

2009年春アニメの奇作は、以前ラジオで話したように“完全なるディスコミュニケーションを体現したサンライズアニメ『宇宙を駆ける少女』”であったと思います。

とあるのを見たら、あることに気付いて、結構すっきりとまとまりました。このエントリはkarimikarimiさんに宇宙かけを「奇作」と評されたのが若干不服だったので、私こそがその評を「傑作」と改めるべく、宇宙かけの正統(=オーソドックス)性を主張して、さらに宇宙かけを擁護する内容であるとお考えください。その1と銘打ったのは、より深い理解に到達しえたときに、その2を書くぞ、という意思表示だととらえてください。


karimikarimiさんは宇宙をかける少女を「完全なるディスコミュニケーション」と評している。彼がラジオでしゃべったという内容は分からないのですが、このキャッチがそらかけ全体のことを言っているとするなら、それは言い過ぎだと思います。確かに風音と秋葉、獅子堂家とフォン、ネルヴァルと獅子堂家、さらにはレオパルドと秋葉等々の間に深刻な「ディスコミュニケーション」があって、さらにはフルカウルというアイテムはまさしく「ディスコミュニケーション」の象徴に見えたかもしれない。けれども、秋葉、いつき、ほのかのヒロイン3人の間、そして秋葉とイモちゃんの間には確かに「コミュニケーション」が存在したはずなのです。ヒロイン3人の間の「コミュニケーション」を確立するために1クール近くの話数が投入されていたし、秋葉とイモちゃんの関係というのはシリーズを通した命題なのであって、イモちゃんが連れ去られて秋葉さんが自暴自棄になっていた時に、いつきさんが秋葉さんの頬を張るシーンが、そらかけにおいて最も「コミュニケーション」が花開いたシーンであります。16話ではヒロイン3人の間の「ディスコミュニケーション」を描くことで「コミュニケーション」を表現する、ということもやっている。そうすると、「ディスコミュニケーション」は結局のところ、「コミュニケーション」を際立たせるためのギミックにすぎないとすら思えてくるのです。


それでは、「コミュニケーション」はそらかけ全体を貫く主題となりえるのでしょうか。確かにそらかけの前半においては「コミュニケーション」こそが主題であったものの、物語の境目となる第12話以降において樋口さんはその「コミュニケーション」を武器に何かをやらせたかったはずなのです。では、宇宙をかける少女において「コミュニケーション」にはどんな役割があるのか。その1つは、「敵」「味方」の線引きなのです。


秋葉さんにとって、「コミュニケーション」が通用する相手が味方、通用しない相手が敵、という線引き。この基準でいえば、風音さんやレオパルドまでもが敵になってしまいます。より正確なニュアンスを出すには、「障害」と表現するのがいいのかもしれない。宇宙をかける少女とは、秋葉さんが立ちはだかる「敵」たちを克服する、というきわめてオーソドックスな主題を表現しているアニメなのであって、本編ではおよそヒントしか与えられていない「宇宙をかける少女」というキーワードが何かといえば、それは秋葉さんを振り回す「障害」の代名詞である、と解釈しえます。そもそも宇宙かけは、秋葉さんが「宇宙をかける少女」として活躍する、という趣旨ではなくて、秋葉さんが「宇宙をかける少女」であることの克服を目指すアニメだったのです。
では、秋葉さんは果たして「敵」たちを克服しえたのか。秋葉さんを囲む「敵」たち全員と「コミュニケーション」を確立できた、かどうかまでは明確に描かれていませんが、「敵」たちの首魁たるレオパルドとの「コミュニケーション」の確立を描くことで、それに代えています。秋葉さんがレオパルドを蹴り上げて、レオパルドが心を取り戻す、というシーン。今まで秋葉さんは何度もレオパルドを蹴っていますが、このシーンは意味合いが違って、つまりこのシーンはいつきさんが秋葉さんを平手打ちしたシーンの反復なのです。そらかけの前半で培われた「コミュニケーション」が開花するこのシーンを反復することで、秋葉さんとレオパルドの間のコミュニケーションの確立が表現されているのです。


さらには、「獅子堂ナミ」と「馬場つつじ」の2人のキャラクターについても、「コミュニケーション」をキーワードに振り返ると、よくまとまります。この2人は2人とも、「コミュニケーション」を欲していたにもかかわらず、それこそ「完全なるディスコミュニケーション」のただ中にたった一人で置かれている、という状況からスタートします。そこで、つつじさんはベンケイというパートナーと出会って、彼とのコミュニケーションを確立する。その一方でナミさんが出会ったのはアレイダやネルヴァル。ナミさんは彼らとのコミュニケーションを確立しえず、コミュニケーションを得られないフラストレーションがついに暴走する。似たような境遇に置かれた二人が別々の道をたどった。その上で最終話においてナミさんに与えられた救いは、つつじさんとの出会い。「コミュニケーション」を獲得しえたつつじさんがナミさんを導いていく、という救いです。
ついでに、25話でナミさんが秋葉さんに向かって言った「なんであんたなんかが『宇宙をかける少女』なのよ!」というセリフについて。もうここまでくれば自明ですが、つまりナミさんは秋葉さんが姉たちとコミュニケーションを確立できたかに見えたのです。この時点において、ナミさんにとって「宇宙をかける少女」とは今だに「コミュニケーション」の代名詞であったのですね。


さて、最初から最後まで「完全なるディスコミュニケーション」の中にいたネルヴァルについて、是非とも書かなければならないのですが、それについては上手くまとまらないので、ここで切り上げます。宇宙かけについて面白いことを書いてある人がいたら、ちょっと教えてほしいところですね。なるべく自分で考えたいところだけど、人のエントリを読むと新たな発見もあるので。