化物語 第10話 「なでこスネイク 其ノ貳」


今週はあまりにも面白いので何か書かねばならない。Newtype見て確認したんですが、あおきえいコンテだったんですよね。エンディングのスタッフロール見づらい…いつもコンテ・演出ってどこかに書いてありますか?

まとめる時間がないので、今回は箇条書きで上げさせていただきます。


・ずいぶん節々で違和感を感じていたんですよね。というよりは、正常感、とでも言えばいいのかもしれない。例えば今回のAパートの最後の、撫子に徐々に近づいていくようなカメラの動き。こんな風なのが、普段の「化物語」には溢れかえっている気がする。それも、もっと気持ち悪い、キャラクターを舐めまわすかのようなカメラの動き。(まあ、今に始まったことではなくて、実は「夏のあらし!」でもそんな風なカメラの動きが何度か見られたのですが。)それが今回は、この一か所で、おそらく「他の回との統一感」を取るために、使われているように思える。


・今週分では、「音聲/■詞」(■は、何て読むのか良くわからない漢字が入っています)って書いてある「漢字の画面」が、どうも人が喋るときに使われているようですね。しかし「諸事情により削除」って書いてあるのが気になります。駿河が黄色で、暦が黒、ですか。人物によって使い分けるのも「赤■」「白■」とか書かれている「普段の漢字の画面」と同じような使い方。
対照的に、セピア調の回想シーンの中では、暦の言葉を代弁するために「漢字の画面」が使われていますね。


あおきえい流の「標識」の使い方も見させていただきました。歩道の標識を見せた後に、3人で歩いている暦たちを見せるのは、まあ武内さんもやりそうなことですが、そのちょっと前の、真ん中に通行止めがあって、両脇に一方通行の標識が2つずつ立っているのは、いったい何なんでしょうね(笑)。どう見ても実在の道路にこれはあり得ませんが、何に見えるか、強いてあげるなら、ハザードランプを付けているときに点滅しているウィンカーの形に、見えますかね。見えないですね(笑)。


・「人を呪わば穴二つ」のところでは、二つのイスを映したカットとか、10個のイスが円形におかれていて、二つだけ外側を向いたカットとか、「2」を意識したカットがいくつかありました。


・暦が「もう一匹の蛇」と戦っているところでは、「いつもの漢字の画面」が、蛇が運動(攻撃)をしているときは赤色、蛇が静止しているときは白色・あるいは黒色、という使い分けをして、普段はあり得ないような「白色カット」→「赤色カット」のような繋がり方が見られましたね。「漢字の画面」はひだまりスケッチにおける「単色の画面」に相当するもので、ひだまりのときには時間の経過を表していたが、どうやら化物語では動作の代弁に充てられているらしい、という話を以前しました。ここでもその原則は当てはまるのですが、今までは「ひだまり」の時のように単発で使われるのみだったのに対して、あおきえいさんはその考え方をさらに発展させて、「見えない敵と戦う」「目隠し状態」を表現するために「漢字の画面」を用いているようなのです。基本的に「蛇の動作の代弁」に充てられていながらも、「代弁」されている動作は本質的に「見えない」もの。だから「漢字の画面」から「漢字の画面」への連鎖があり得る。傍から見れば暦が一人でジタバタしているように見える、「実際の」蛇との戦いのシーンも織り交ぜなつつ、「見えない蛇」との取っ組み合いを描ききったここのシーンは本当に素晴らしい。


・蛇との取っ組み合いのシーンでは、暦の(だと思われる)「眼」のアップが何度か挿入されました。人物の瞳をクローズアップするのはこの作品では珍しい手法ではないですが、ここでの「眼」のアップは、「見えないもの」を「見よう」とする暦の執念が表現されているようです。


・そして「赤色の漢字のカット」のなかに突然「アララギ先輩!」と、「黄色の『音聲/■詞』のカット」が飛び込んできて、蛇との取っ組み合いは終わるのです。「お願いだから、助けるべき相手を、間違えないでくれ…」と「黄色のカット」の下での駿河のセリフの後に、何度かの赤いカットの後に蛇が去っていって、せわしなく飛び交うカラフルな「漢字のカット」から解放された我々の心も落ち着く。


・あとは、まるで眼のように見える月が印象的でしたね。


今回のあおきえいさんの仕事は、普段の「化物語」と統一感を取りつつも、それでいて普段「化物語」を見ていて感じる「気持ち悪さ」を全く感じさせなかったという点が、素晴らしかった。上述の漢字のカットの使い方で尾石さん・武内さんの考え方を発展させたという意味も込めて、尾石さん・武内さんのコンテのグレードアップ版、というのが相応しいかもしれない。暦の感情の揺れもうまく描かれていました。