「説明描写」および「モノローグ」をめぐる問題について


そらかけの8話を見ていたら面白い事に気が付いたんですが、どういう風にまとめるかと思案したあげく、「モノローグ」の使い方について述べることにしました。とかく「モノローグ」や「回想」といったものは舞台設定や心情を説明するための安直な小道具として濫用されているように思えますが、そらかけの8話のモノローグはどういうわけか、センスの良さを感じたんですよね。別に似たようなシチュエーションを探せばいくらでも見つかるでしょうし、その中には同じ理由で「好例」になっているものもたくさんあるでしょうが、モノローグの使い方の好例として、ここでまたそらかけの話を無理やりしようかと。


「説明」のために安直にモノローグや回想をはじめられるのは、出来れば勘弁していただきたいところです。例えば、そらかけの5話で、秋葉さんがいつきさんに「レオパルドのもとに案内しろ」と言われて、グラブフィッシュの中で突然始めるモノローグは、センスが悪いと思います。ここでの、秋葉さんの劣等感とともに五姉妹の紹介と秋葉さんの位置づけを紹介する独白は、シリーズ構成の交代において、花田十輝さんが「積み残した」(と、樋口さんの考えた)「舞台設定の説明」を「仕方なく」織り込むという打算が見え見えだからです。(逆にいうと、この無理やりな独白を傍で聴いているいつきさんが華麗にスルーしたことに、樋口さんの底知れないセンスの良さを感じたのですが、それについてはまだあまり深く考えていないし、本題からも外れるので、そっとしておきましょう)。
私は「咲-Saki-」を見ているとイライラしてくるタイプの了見の狭い人間です。それは別に「モノローグ」や「回想」といったものを全否定しているわけではなくて、つまるところ、「説明」のレベルに留まって「表現」のレベルに達していないようなシーンはできることなら避けて通りたいと思っているのです。


それで、本題に戻って、「モノローグ」が効果的に使われている例として、そらかけの第8話を取り上げたいと思います。甲冑の頭を探しているときに、秋葉さんの「いつきちゃん、もう自分で選んだ仕事をしているんだ」というモノローグが入って、「いつきちゃんは、なんで怪奇課に入ったの?」という質問に飛躍する。これが、後に続く質問がなくて、単にこのモノローグだけで終わっていたなら、モノローグの使い方の「悪例」となっていたことでしょう。それは、秋葉さんがいつきさんに「尊敬の念」を抱いている、という「状況設定」の「説明」を「仕方なく」やっている、と言う風に見られてしまうからです。しかし後ろにこの質問が続いたとたんに、このモノローグの持つ意味は変わります。つまり、「どうして怪奇課に入ったの?」という他愛もない質問の裏に、いつきさんへの「尊敬」が隠れているということを「表現」していると言う解釈になります。モノローグが無くてこの質問だけの場合、秋葉さんはいつきさんに何らかの興味を抱いて質問をしているにしても、それは他者に対して本来的に湧きおこる興味であると捉えるしかありません。秋葉さんはこの場面において、いつきさんへの「尊敬」を「興味」の原動力であると解釈させるためには、どうしてもこのモノローグが必要なのです。
秋葉さんが同い年ですでに手に職を得ているいつきさんと触れ合い、「尊敬」の感情を抱いた。モノローグ単体の仮想の「悪例」の場合ではそのことを「説明」しているにすぎず、反対に実際の「好例」の場合は「尊敬」の感情を原動力としていつきさんとより深く接触していく…という一連のストーリーの流れを構築しているのです。それゆえに、そらかけ第8話のモノローグは「説明」のレベルを超えて「表現」のレベルにまで昇華されている。いつきさんと秋葉さんの交流を「表現」するためのモノローグなのです。



・さて、たぶんしばらく忙しくなって、更新が滞りそうな気がするので、あらかじめ言っておきます。「かなめも」が超絶面白かったり、「化物語」が超絶面白かったりした場合は何か書くと思いますが。今日の「CANAAN」が西村純二コンテ回でしたが、なにも書きません。来週も西村純二さんですが、来週の今頃はさらに切羽詰まっているので、スルーで…。


・この夏に「サマーウォーズ」と「センコロール」と「空の境界」くらいは観る予定だったんですが、観れなかった…。9月下旬になってもやっているのがあったら、観に行こうかと思いますが、公開が終わってしまうものは、DVD待ちですね…。