宇宙かけBD5巻の話(続き)と、小説下巻

12〜14話で書きたいことが溜まったので、ここに書きます。


・12話で、レオパルドがエアタイトフィールドごとベンケイを撃ち抜く、と言って、秋葉さんに、「こうしている間に、大切なものが失われていくかもしれないんだぞ。お前の守るべきものが、傷つけられてもいいのか!」と言っているけど、秋葉さんにとって守りたいものって、イモちゃんだけなんですよね。だからレオパルドのこの言葉にも、実感がわかない。すでにこの時点で、気持ちでベンケイに負けているのか。


・13話って番外編みたいな回だと、以前書きました。森田繁さんが「なして?」を連発したり、脚本でいろいろとやらかした(良い意味で)からというのもちろんあるんだけど、竹内さんのコンテのせいでもありますね。
何よりも、一番最初のエスタブリッシング・ショットがあんまり宇宙かけっぽくないんですよね。そらかけのアバンで、この手のエスタブリッシング・ショットから始める場合、まず宇宙空間からコロニーを俯瞰して、コロニー内部の建物を映して、建物の中に入って…と静かに縮尺が小さくなっていく始まり方が多いと思います。一方この回のアバンでは、まず地球をバンと映して、次に地球の中から青天に浮かぶ太陽をバンと映す(ここでカメラの向きが反転している)、そこに鳥が飛んできて、カメラが下に降りて行って、大自然の中の秋葉さんを映す。この地球の次に青空を映す、次のカットでカメラの向きを変えるっていう手法を取っているのは、13話をおいてほかにない。「宇宙かけ」の普通の話数なら、青空から俯瞰するカットになるはずで、敢えてカメラの向きを変えることはしません。この導入の仕方が、最も「番外編っぽさ」を出している。あるいは、舞台がカークウッドから地球に移って、「第二部が始まります」という合図でもあるのかもしれない。
こっちは余談ですけど、13話の最後のカットは、西村純二さんが良く使いそうなタイプの止め絵で終わっていますね。この回の竹内さんは、意識してほかの回と違うことをやろうとしているように思えます。


・あと、どうして13話は鳥が飛んでいるんだろう、と考えてしまった。今まで空(宇宙)を飛んでいたのは秋葉さんたちで、地上に落とされた秋葉さんたちをあざ笑うかのように、鳥が悠々と飛んでいる。鳥が飛ぶことで、秋葉さんたちが「飛べなくなった」ことを強調しているわけですね。つつじさんのところでも、つつじさんが今まで空(宇宙)を飛んでいたから、カラスの一鳴きがよりいっそうつつじさんを馬鹿にしているように聞こえるわけです。


・14話でネルヴァルが、「ナントカ計画は完了した。次はナントカ計画だ。行こう、カークウッドへ」と言っているけど、第一ステップに当たるのは「地球人の回収」になるわけですね。で、第二ステップがカークウッドの制圧。


・14話ではドアのミスがありましたよね。秋葉さんの夢の中で、神楽がドアを引いてあけると、次のカットでは押して開けたような形になっている。これはたぶん、ミスだったんだろうと思うけど、図らずしも細部があいまいな「夢の中」という雰囲気を出すのに一役買っています。あくまで秋葉さんの夢の中だから、押して開くドアなのか、引いて開くドアなのか、そういった細部が曖昧になっている、という風に解釈されるカットに仕上がっています。


あと、先週くらいに出た小説版の下巻。

宇宙(そら)をかける少女〈下巻〉 (一迅社文庫)

宇宙(そら)をかける少女〈下巻〉 (一迅社文庫)

日曜くらいから読み始めてようやく読み終えました。
アニメ版と小説版で、やっぱりイモちゃんが居るかいないかが、決定的に違うよな。上にも書いたとおり、秋葉さんの守りたいもの、大切なものって、イモちゃんでしょう。イモちゃんが居ないから、小説版の秋葉さんはこんなに吹っ切れている。こんなに積極的になれる。そんな勝手な感想を抱いてしまった。
でも意外なほど面白かったですよ。神楽が神様になって、空間のゆがみを「修理」していく…ってくだりが良いですよね。そして、神楽の背中を追いかけて、秋葉の冒険は続いていく…って終わらせ方が、夢があるというか。アニメとはそうとう別物ですけど、普通にSF物として楽しめる内容だと思います。


放送が終わってからもそらかけの話ばかりしているなあ…。今期のアニメを見る代わりに、そらかけのBDを見返してしまう。