化物語 第7話 「するがモンキー 其ノ貮」


今回はそんなに好きな話数と言うわけでもないんですけど、演出方面で興味を引くものが見れたので、まとめておきます。


暦が駿河の家を訪ねていきますが、暦は駿河の部屋の汚さに唖然とします。駿河の部屋は「本」で溢れているわけですけど、これがいわゆる「本」の役割を果たしているとはいえない。原作だと、もっと色々なものが散らかっていて、それらを全部本で置き換えたようです。
暦が「掃除」をしているはずの間、「本」はプールの中の水のように扱われていて、本のプールの中に飛び込んだり、水(=本)を掛け合ったりする暦と駿河の姿が描かれています。
「掃除」が終わると、本は整然と積み上げられた状態になっていますが、駿河と暦が二人で座っている様子の俯瞰カットなどで、2人は動いていないにもかかわらず、本の山はゆっくりと右から左に、あるいは右から左に移動している。2人が動いている(というより、カメラが動いている)カットでも、背景の本はより速く動いているように見えたり、あるいは手前にある本と、奥にある本で、別々の方向に動いているように見えたり、何種類かバリエーションがありました。一番異変に気付きやすいというか、露骨だったのは、駿河がひたぎについての語りをしているときの、ひたぎ1人だけを映したカット。手前の本が横に動いてきて、駿河の姿を隠したり見せたりするので、見ている間さぞフラストレーションがたまることでしょう。


ところで、「本=水」でしたから、この「本の山」の移動と言うのは、水面を伝わる波、ということで異論はないでしょう。記号的にはそれでもう全く問題ないでしょうが、これは構図的に見るとどうなんでしょう、というのがここで考えてみたいことです。本の山が勝手に動くなんてことがあったら、そっちのほうが怪異です。といっても、作画についてなんて全く分からないので、素人の推測でしかないのですが…。
とりあえず、一番見やすい駿河一人のカットをここでは考えることにします。画面の中心の駿河は固定されていますが、本の山が勝手に動く訳もないので、これは当然、本ではなくカメラが移動していると見るべきでしょう。中心の駿河が固定されているにも関わらず、カメラが動いているわけですから、カメラは駿河を中心とする球面上を動いている、と考えることができます。そうすると、たとえ駿河の位置は変わらなくとも、駿河を見る角度は変わるはずです。普通ならその通りに描くことで、駿河の周りをカメラがぐるっと一周したんだね、と気付くんでしょうが、生憎と新房組は立体物を異様に平面的に描くきらいがありますよね。化物語でも今までそういう作画がされていたわけですけど、「ひだまりスケッチ」を見ていた方なら、あの平べったいひだまり荘を思い出していただければよいと思います。すると、球の中心にいるのは、「立体的な駿河」ではなく、平べったい、薄っぺらい紙1枚の駿河なのです。そのように考えれば、(縮尺や影の付き方などは変わるはずですが、そういう「立体的な」変化は基本的に描かないはず、ということにして)、「本の移動」などという怪異には説明が付くようです。ちなみに、良く見ると駿河をまたいで向こう側にある本も、ゆっくりと、手前の本とは逆向きに動いています。


さて、今回の挿話ではもう一つ話題があります。それは「移動物」に関すること。ここで注目したいのは、さっきの「本の波」、ひたぎの代わりに出てきた「ホッチキス」、メメの根城を訪ねて行った時の「電車」や「走る駿河」や「行き交う車」です。これらは、どれも挿話ののペースメーカーとして機能しています。駿河がひたぎについて重苦しい話をしている間は「本の波」がゆっくりと移動し、メメの根城の前で駿河と暦がエロ談義をしているところでは、スピーディーに駿河や車や、どうやら総武線らしき電車が行き交っています。これらの「移動物」のスピードが、物語のスピードになっている。
それで、ひたぎを特徴づける「ホッチキス」についてですが、ホッチキスというのは「走るひたぎ」とみなして良くって、ホチキスのカシャカシャ音は、1話における羽川翼と暦の会話の中で出てくる、中学時代のひたぎの、「タッ、タッ、タッ」という足音と同じで、リズムをつける役割になっています。ここではどうも、陸上のトラックの上をホチキスが走っているようで、「ホチキスの針」というのは「ハードル」であることは間違いありません。ひたぎは、走りながらトラックの上にハードルを置いていっています。すると、ひたぎの後を追いかける駿河は、このハードル(=「困難」の代名詞でもある)を飛び越えていかなければならない。「ホチキス」のカットは駿河の前に大量の困難をばら撒くひたぎ、というのが記号化されていて、つまり「ひたぎの駿河に対する拒絶」を表現している、と考えられます。


あと、おまけですが、一万円札に「赤瀬川」って書くのは、「偽札」という意味じゃなくて、単に一万円札をそのまま描くとヤバいからなんだろうなあ、と気付きました。今回はそんなところで。